暦と三元九運

★暦について

風水で主に使用されている暦は、厳密には違う暦を使用したり立春の起点が違う説もありますが、太陰歴(正式には太陰太陽暦)です。
また、二十四節気や十干等いろいろな暦や節も使用します。

太陰暦と太陽暦
二十四節気
十干
十二支
六十干支

三元九運について
太陰暦と太陽暦
現在使用されているのは太陽暦(グレゴリウス暦)で、地球が太陽の周りを 一周する時間が1年(365.2422日)になります。
.2422日分が4年に一度閏年として1日余分に増やして帳尻を合わせてますね。
昔の日本は太陰暦を使用していました。月の満ち欠けで日を数えるのですが 月の満ち欠けの周期は29.5日。それだけだと1年が354日しかないので 「閏月」を置いて季節を調整していました。
この暦はカレンダーなどなくても月の満ち欠けを見るだけで日にちを判断 できましたので、とても自然な暦だったのです。

二十四節気
太陰暦では季節がずれてしまい、種蒔きや収穫に大切な時期が明確にはならない為、別に二十四節気と言うものが生まれました。
1年を24に分割し、それぞれに季節にちなんだ立春、夏至、啓蟄、冬至等の名前が付けられました。
春分の日や秋分の日等で現在も名残が色濃く残っていますね。
夏至が一番日照時間が長く、冬至が一番日照時間が短い日と言うようにこの区切りは太陽(暦)が下敷きになっています。
そのため、太陰暦と二十四節気を組み合わせて使用している日本の旧暦は太陰太陽暦になります。
区切りの日付は年によっても変わって来ます。

十干
中国の殷の時代は太陽を元に暦が作られていました。但し、年・月の概念はほとんどなく日だけだったそうです。
また、当時の神話で「太陽は10個あり、毎日違う太陽が昇ってくる」と信じられていました。
その10個の太陽をそれぞれ甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)と区別をする名前を付けました。それぞれの太陽には性質があり、太陽の種類がその日に生まれた者の資質となると考えられていました。
10日間を1つの区切りとし「旬」とし、旬のどの位置に当たるかを「干」と名付けられました。
その後、陰陽五行説と結びつき中国の暦を使用する占いのベースになっています。

十二支
十干と同じく殷の時代の頃に考えられました。神聖な星とされた木星が約12年周期の運行から、木星の位置を示す為に12の区分分けをしてそれぞれに名前を付けました。「子、丑、寅、卯、辰、巳〜」の十二支です。
十干、十二支も最初は日の区分だけだったものが、次第に月、年も区分されるようになりました。
後から「ねずみ、牛、虎・・・」と言った動物の意味合いが加味されました。「午年生まれ」等今でも干支は使われていますね。

六十干支
その後、十干と十二支が組み合わされ、1から60迄の組み合わせを表したものが「六十干支」となりました。 この六十干支を年月日に割り当て暦が成り立っていました。 ちょっと難しいですが、新聞を取っていると年末にくれる暦の小冊子に「庚辰、乙酉、癸丑」等書かれていますので目にした方は多いと思います。それから「ひのえうま(丙午)」もこの六十干支から来ています。 余談ですが、60歳を「還暦」と呼びますが、この六十干支が一巡して同じ暦が戻って来た事を指しています。

三元九運について
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