昔話を考察する・その2

イソップ物語って知ってますか?
私はアンデルセンさんのライバルがイソップさんだとずっと思い込んでいました。(^^ゞ
イソップ物語のほぼ全てが紀元前600年前の古代ギリシャで語り継がれた寓話なのだそうです。
イソップさんは古代ギリシャに実在した人(伝承では奴隷だったとか)と伝えられていますが、詳細不明の謎の人です。
たくさんあるイソップ物語の中で今回はこれを紹介します。

「狐とぶどう」

【あらすじ】
狐がぶどうの木の前を通りかかった時、良く熟したぶどうが高い枝になっているのを発見しました。
狐は飛んだり跳ねたりしてそのぶどうを取ろうとしたが、どうしてもとれません。
挙句の果てに、狐はこう言って去っていきました。
「どうせあのぶどうは酸っぱいに違いないね。」

【考察】
英語で「負け惜しみ」の事を「sour grapes(酸っぱいぶどう)」と言うそうです。
この狐とぶどうが元になっています。また、この物語は「It is easy to despise what you cannot get.」と結ばれています。
私は英語が苦手なので、翻訳ソフトで直訳してみました。(^^ゞ
「得ることができないものを軽蔑するのは簡単です。」と言う感じでしょうか。

私達は、ままならない葛藤や罪悪感を抱いたり、何か失敗をした時などに、なんとか正当性を持たせた理由を考えます。
例えば期日までに任されていた仕事が出来なかった時は「元々時間的に無理な量を任されていたんだから間に合う訳ない」とか
可愛い女の子にデートを申し込んで駄目だった時は「顔は可愛くせに案外性格は悪い女に違いない」とか
子供のテストの点数が悪かった時は「先生の教え方が下手だったに違いない」など
普段のいろんな所で、誰しもが半ば無意識に自分を正当化する理由付けをしています。
これは、自分の欲求が満たされなかった時に、自分に都合の良い理由付けをして自分の心へのダメージを減らす心理が働いています。
心理学ではこの心の動きを「合理化」と言い、俗に「すっぱいブドウの理論」と呼ばれています。

合理化は誰しもが、自然に行っている健康的な心の動きです。
しかし、合理化の心理が強すぎるとどうなるでしょう。
物事を冷静に捉える事が出来にくくなり、本当の自分の心さえも欺き、ひたすら自分を正当化するために何事も他人のせいにしたり他のせいにしたりするでしょう。
そのうち、自分の本当の心も見失ってしまいます。
これでは、円滑な対人関係を築くのは難しいでしょう。
自分を守ろうとする自然な心の動きが行き過ぎると、今度は自分を苦しめてしまいます。

人とぶつかった時、相手に対して「何処見て歩いてるんだよ!(怒)」と思うタイプの人は、一度起った事を「自分と関係ないひとごと」のつもりで考えてみると、新しい発見があるかも知れないですよ。(^^)
[1]週刊ココロコラム
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