しあわせの青い鳥

チルチルとミチルの「青い鳥」のお話はご存知でしょうか?
子供の頃に絵本や童話として読んだり聞いたりして、なんとなくあらすじを知っている方は多いと思います。
このお話は、童話のために書かれたものではありません。
ベルギーの作家メーテルリンク著作で、元々は戯曲(演劇の脚本)として書かれました。

魔法使いから青い鳥を捕まえれば豊かで幸せになれると聞いた貧乏なチルチルとミチルは、青い鳥を探すために長い旅に出かけました。
しかし、青い鳥は全然みつかりません。
チルチルとミチルは仕方なく家に帰りました。
すると、家で飼っていたみすぼらしい鳥が青い鳥に変身したのです。
ふたりは「青い鳥はここにいたんだ」と喜びました。

絵本や童話ではこれがラストでハッピーエンドになっていたと記憶しています。
自分の周りを見ずに、自分とはかけ離れた幸せを求める欲深さを諭しているような印象を受けますね。
「自分や周りの環境を顧みず、もっと自分に合う仕事があるはずだと転職を繰り返す人」を指して「青い鳥症候群」と言うのも同様の考え方から来ているのでしょう。
ところが、原作はこの先があるのです。

ようやく見つかった青い鳥。チルチルとミチルが喜んでいたら・・・青い鳥は飛び去ってしまいました。
最後はチルチルの台詞で舞台は幕を下ろします。
「どなたかあの鳥を見つけた方はどうぞ僕たちに返して下さい。僕たちが幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥が必要になるでしょうから。」
ストーリーを最後まで知ってしまうと、「人は幸せを手にする事はできないのか〜」などと絶望的にブルーになりそうですね。(^_^;)

「青い鳥がいることが幸せなのではなく、青い鳥→幸せを探せる、と知っていることが幸せなのではないだろうか。」とか
「できあいの幸せなんてこの世にはない。幸せは簡単には手に入らない。でも人間には青い鳥(幸せ、希望)が必要だ。だからそれを作らなければいけない。」(五木寛之)と言った解釈の仕方が有名です。
そして、個人的な考察はこんな感じです。
「幸せ」は、型にはまったものではなく、何処かにあるものでもなく、与えられるものでもなく、手にしたら一生自分の元にとどまるものではないでしょう。
青い鳥が「幸せ」の象徴だとすると、「幸せ」は「モノ」のように手に入れるのではなく、「自分が幸せだと感じる」、つまり自分の中(内側、内面)にあり、自分から作り出すものなのではないかと思っています。
みなさんはどのように解釈されますか?
[1]週刊ココロコラム
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