過程と結果
季節はずれですが、最近は夏休みの自由研究や自由課題ビジネスがどんどん成長しているそうです。
本来なら自分で考える工作がキットで売られていたり、毎日調べるものが一覧データで手に入ったりして、子供も親もは楽チンです。
夏休みの宿題は、毎日の習慣付けや自発的な知識付けを本来の目的としているはずです。
それが「出来上がったものを提出」し、その内容の質を吟味するような流れが定着している感がありますね。
仮に、自由研究のテーマを毎日の空模様にしたとします。
気象庁のホームページを見れば、過去の天気だけでなく降水量や風の強さ等の詳細データはすぐに手に入ります。
明日始業式と言うギリギリの時でも、ちょっと調べればすぐに詳しく調べられた自由研究が出来上ります。
一方、自分の目で見て毎日チェックしていた空模様は天気は解っても、降水量や風の強さ等のデータはありません。
そのため、一覧表にして先生に提出した時、天気だけの自由研究よりも気象の詳細データが並んだ自由研究の方が「良く出来ている」と思われるかも知れません。
しかし、データを書き写したものより、毎日自分の目で見た雲行きや雨の降る様子は確実に記憶として残ります。
その記憶はやがて、雲行きを見て外出に傘が必要かどうか判断を下す良い材料となるでしょう。
ちょっと大袈裟かも知れませんが、毎日空を見上げた積み重ねが、日々の生活において自分の知恵になり得るのです。
別の例も紹介します。
営業マンA氏は要領が良く、いつも成績上位で上司から信頼されています。
一方、営業マンB氏は実直で地味、成績もパッとしません。
A氏は接待攻撃で大口の顧客をゲットし、月半ばでノルマを大幅に超える売り上げがあったため、締め日まで外回りと言って適当に時間を潰していました。
B氏は他の人が嫌がる小口の顧客数人に対し、まめに顧客のもとに通い細かい要望を聞き入れるなど毎日動き回って締め日ギリギリにようやくノルマをクリア出来ました。
2人の「結果」は確かに違います。そして会社は彼らの「結果」で成り立っています。
そのため上司から、B氏は「あまり使えない営業マン」と言うレッテルを貼られるでしょう。
しかし、B氏自身は地道な人との交流で顧客から「人としての信頼」を得る事が出来ました。この信頼は売り上げには直結しなくても、自分自身の心の財産になります。
残念ながら、昨今は世の中全体が「結果」に左右されています。
高校の成績で受験出来る大学が振り分けられ、入試の点数で大学に入学出来るかどうか振り分けられます。
卒業して社会に出ても営業成績がボーナスの査定や昇進を左右します。
さらに、今までの実績で信用を得る得ないが決まる場合もあります。
成績や実績、成果はどれも「結果」ですが、「結果」はそれだけではありません。
家柄、生活水準、学歴、収入、容姿、人種などいろんな物事がそれぞれその時点での「結果」です。
私達はそんな社会に生きていますから、物事全てに対して結果を最重要視し、結果に左右されてしまうのは仕方のない事かも知れません。
また、相手が持っている「結果」と自分が持っている「結果」を天秤にかけて優劣を決めてしまう事は誰にでもある事でしょう。
本当は「結果」が大切なのではなく、私達がどのように「結果」を出すか、その「過程」が大切なのです。
真実が隠されているのは、その「結果」が出る迄の「過程」です。
「結果」ではなく「過程」に目を向ける事で、今まで見えなかった真実が見えてくるでしょう。
例えば、相手の容姿や生活水準などでその人を判断するのではなく、その人自身の言動や行動を「結果」に惑わされずに見る事が「曇りのない目で相手を見る」事になります。
同じように、自分が出した「結果」ばかりに目を向けて自分を評価すると、それは本当の自分ではなくなってしまうでしょう。
ちょっと観念的なお話になってしまいましたが^_^;「結果」に左右されない心がけは、自分の心や魂の成長につながりますよ。
[1]週刊ココロコラム
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