ココロの鏡・その2
前回、いろいろな例を出しました。(読んでない方は先に読んで下さいね。ココロの鏡・その1)
誰しも少なからず例に出したような思いをした事があるのではないでしょうか。
今回はそのココロの動きの正体をご紹介します。
自分の中に嫌な部分や不快な部分など受け入れがたいものがあった場合、それをいちいち認めてしまうと精神的に「自分」(自我)を保つ事が難しくなります。
自分の心を守るために、嫌な部分の一部は「なかった事」にしたり、「自分ではない事」にしようと無意識的に心が働きます。
「なかった事」は心の奥底にしまわれる抑圧と言う心の動きです。
そして、「自分ではない事」は、自分の不快な部分があたかも他の人や物の現象・状況・性質であるように捉える心の動きです。
これを心理学では「投影(投射)」と呼びます。
投影は、自分の心の中の状態や感情・思考などを他者(他の事象全て対象)に映し出す事です。
ネガティヴな投影は、自身の受け入れがたい部分を「なかった事」(抑圧)にするが心の奥底に残るため、それを無意識に「自分ではない事」として捉えるパターンが多い傾向があります。
それでは前回の例を説明していきましょう。
多少こじつけっぽい部分もありますが(^_^;)あくまでも例です。
ぶりっこが嫌われるのは、多くの女性が「人によって態度を変える」「男性に気に入られようとする」「必要以上に可愛くみせる」と言う部分が不快であると感じているからです。
心の底では自分も男性から気に入られたい、可愛く見てもらいたいと思う気持ちを持っているのですが、それは「良い事」ではないと言う観念が強いほど自分にとって受け入れがたいものとなります。
その結果、抑圧され投影され不快感を抱くのです。
男性に人気のある女性があまり同性に好かれないのは、男性からの人気が欲しいと言う願望が叶わず不満を投影しているとも言えます。
気さくで愛想の良い後輩を「八方美人で上司に取り入った」と思った人は、人づきあいが苦手で上司からの信用が欲しいのに得られない不満を投影しています。
仕事が出来る部分を「要領がいい」と考えた人は、自分がもっと要領良く仕事が出来るようになりたいのになれない事がコンプレックスとなって投影しています。
同じように「ガリ勉」は勉強に対して、「スポーツ馬鹿」はスポーツ及び運動神経に対して、「でしゃばり」は自分の意見を表現できる事に対して、「軽薄」は天真爛漫な明るさに対して、何がしかの不満やコンプレックスを持つ人が投影した結果です。
肉親をはじめ、何かいけすかない人、気に入らない人、嫌いな人は、相手の中に自分の嫌な部分や不快な部分を見出した(投影した)事で不快になり、その結果「嫌いな人」と認識します。
最後の例はこれまでと少し趣きが異なっています。
それは次回ご紹介します。
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