不幸せの悪循環
先日、「やりたい事がみつからない。何をすれば良いか解らない。毎日つまらない。」と言う方とお話する機会がありました。
そこで、私からスポーツ等体を動かすような事はどうかと提案した所、「体力ない」と即答されました。
じゃあ、何か資格を取ればと提案すると「試験に落ちると困る」、習い事は「お金かかるし」、旅行は「乗り物酔いするから」、何か集めるのは「そんなにマメじゃない」、繁華街でウインドウショッピングは「遠い」、好きなアイドルとかタレントは「好きになっても意味ないし」、ライヴや観劇は「お金ないから」…。
何を助言してもこんな感じで一刀両断です。
そして、「いろんな人から今みたいにあれやってみれば?これやってみれば?と良く言われるけど、どれもイマイチ。」と言いました。
「じゃ、何ならいいの?」と聞くと「それが解らない。」と即座に真顔で答えるのです。
他人(私も含め)は好意でいろいろ助言していますが、この方はそれに対する感謝の気持ちどころか、即座に「否定」或いは「拒絶」しています。
親身になって助言した側は自分を否定(拒絶)されているように感じますのでとても嫌な気分になります。
この方は「嫌々仕方なく働いている今の職場では孤立してる」と話していましたが、この調子ならば孤立しても仕方ないかも知れませんね。(^_^;)
この方は何を提案しても「出来ない理由」を即答しています。
お話を伺っていると、物事の捉え方がことごとくネガティヴ、と言うよりも「物事のマイナス面や不満面、不足分しか見えない」と言う印象を強く持ちました。
何かをしようとする前に、その何かのマイナス面だけしか捉える事が出来なければ、当然やる気や興味は湧かず、やってみようと言う気は起りません。
さらに、出来ない理由を良く見ると「体力ない」「お金ない」「乗り物酔いする」「遠い」など、自分の意志以外のものを提示しています。
つまり、自分自身ではなく「○○のせいで出来ない」と他の事柄に責任転嫁して自分を正当化しています。
このように自分以外の何かのせいと思っている限り、どんな事が起きてもそれが「自分の意志=本意」ではないと言う認識から、さらにマイナス面や不満面、不足分ばかりが目についてしまうでしょう。
そしてそれをまた自分以外の何かのせいにして、物事のマイナス面を見ると言う悪循環を繰り返します。
この悪循環は常に強い不満を抱えますので、結果「不幸せ」な日々を送る事となります。
例えば、喉が渇いている時に人から冷たい水を頂いたとします。
その時、水が6分目まで入っているコップを見て、「6割も入っている」と捉えるか「4割も足らない」と捉えるかによってその後の考え方が異なります。
「水が6分目入っている」事を事実として受け止め、その後「6割も入っている」と考えられると精神的な充足や満足が得られ、水をくれた人に対して感謝の気持ちを持てるでしょう。
しかし、「4割も足らない」と考えると不満や不足となり、その不満を水をくれた人のせいにするとその人に対する不満にもつながります。
面白い事や楽しい事、幸せなひとときや充実した時間はいくらでも作り出せます。
何故ならば、面白い、楽しい、幸せ、充実、は自分の物事の捉え方や考え方、つまり「自分がそう思う」ものだからです。
決して他人(自分以外の存在全て)がそれらを持って来てくれるのではありません。
ちなみに、この方に不幸せの悪循環をやんわりお話した所、責任転嫁により自分を正当化した逆ギレ・マシンガントークをお見舞いされました。
キツイ言い方ですが、私(他人)に対してどんなに逆ギレして言い訳しても、この方自身の事なのですから私(他人)には何の関係もありません。^_^;
不幸せの悪循環に陥らないためには、物事をどう捉えているかを自分自身で気付き、事実を真っ直ぐ受け止める目と充足面が見える目を養う事。
そして、何もかも他者に責任転嫁せずに自分自身の意志を見つめる事が必要なのではないでしょうか。
ちょっと説教っぽくなっちゃいましたかね。(^_^;)
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