真面目の考察
唐突ですが、「真面目」と言う言葉を聞いてどんな印象を持ちますか?
一般的な「真面目」のイメージとしては、嘘偽りがない、礼儀礼節を重んじる、時間や期限を守る、責任を全うする、常識や社会ルールを守る、遊びよりも勉強や仕事など与えられた立場・役割を全うする、などが挙げられます。
そして「真面目」のネガティヴなイメージは、頭が堅い、融通が利かない、面白みがない(冗談が通じない)などが挙げられるのではないでしょうか。
辞書を見ると「嘘やいい加減な所がなく真剣である事、本気である事」とありました。
「真剣」の意味は真面目に物事に取り組むさま・本気で物事に取り組むさま、「本気」は真面目な気持ち・真剣な気持ち、と書かれていました。
辞書のそれぞれの意味から考察すると「真面目≒真剣≒本気」と言う公式が成り立つような気がします。
しかし、個人的な見解ですが「真面目≒本気」と同義には出来ないのではないかと考えました。
私達には意志がありますから、嫌なものは嫌、やりたくないものはやりたくない、と言う気持ちがあります。
しかし嫌だからやらないでは済まされない状況や立場の時もありますし、社会生活上やる必要性に迫られる時もあります。
そんな時は自分の意志を抑えて取り組む事となります。
目覚ましが鳴ってもなかなか起きれない、もっと寝ていたいけど、学校や会社に遅刻しないために無理矢理起きる、なんかは解りやすい例でしょう。
自分の意志と反する行為は本気とは言えないのではないかと思いました。(屁理屈かな^_^;)
頭にクソがつく程「真面目」な人は、常に真面目でいなくてはいけないと思い真面目を生真面目に実行しようとするため、普段から自分の意志や感情を抑えている傾向があります。
特に、子供の頃は遅刻せず学校に通い、熱心に勉強を続け、親の言いつけをきちんと守る「良い子」「優等生」で、その後大きな反抗期も親への反抗もなく(周りから見て)順調かつ「真面目」に育った人ほどこの傾向は強いと言えるでしょう。
意志や感情を抑え続けていると、次第に意志や感情をはっきり実感する前に自動的に心の奥底にしまい込むようになる傾向があります。
そして、自分の本当の意志や感情と自分の行動が反している事がストレスとなるのですが、本当の意志や感情を実感出来ないのでそのストレスに気付きません。
そして、プライベートや恋愛など自分の気持ちに素直に行動して良い時ですら、真面目でいなくてはいけないと思い真面目な行動をとってしまいます。
それが「真面目」のネガティヴなイメージにつながるのでしょう。
また、自分の本当の意志や感情を抑えるのは「嫌だ」「やりたくない」と言ったネガティヴな意志や感情だけではありません。
「楽しい」「嬉しい」と言ったポジティヴな感情も同じように抑えてしまうため、このタイプの人は心から楽しいとか充実していると感じる事がなかなか出来ません。
しかも、ポジティヴな感情を実感出来ない原因に気付けませんので、「つまらない日々」「充実しない毎日」が他者によってもたらされているのではないかと考える傾向があります。
物凄くシビアな意見ですが、一般的な「真面目」のイメージで挙げた事の多くは社会人にとって「出来て当たり前」と考えた方が良いかも知れません。
何故ならば、社会人が無遅刻無欠席でも、取引先の上役に礼儀正しく対応しても、それだけでは上司や会社から褒められる事は滅多にないからです。
ならば、「真面目でいなくてはいけない」と言う思いではなく、どうすれば上手く自己管理が出来るか、どうすればスキルアップが出来るかを考える方が創造的でポジティヴかも知れませんね。
ところで、真面目にはもうひとつの意味があります。
真心のあること。誠実であること。誠意のこもっていること。
真心も誠実も誠意も、私利私欲がなく、偽りや飾りのない真実の心やそのさまを意味しています。
自分の本当の意志や感情を抑えているクソ真面目な人が偽りや飾りのない真実の心を他人に見せる事は難しいかも知れません。
そう言った意味では、クソ真面目さんは本当の意味での真面目ではないのかも知れません。
毎日がつまらないと感じているクソ真面目さんは、まず真面目でいるよりも自分の本当の意志や感情と向き合ってみる事をお勧めします。
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