見慣れた他人と見知らぬ友人
通勤や通学はいつも同じ時間の電車、それも同じ車両に乗る方は結構多いと思います。
すると、大体いつも同じ人が乗っているのではないでしょうか。
良く利用するお店の店員さん、日課のジョギングでいつもすれ違う犬と散歩するおじいさん、毎日通る道にある美容院の美容師さん、登校時に見かける他のクラスの人、などなど。
良く見かけるので顔は知っているけど、話した事もなく名前やどこの人なのか全く知らない人って周りにたくさんいますよね。
いわゆる「見慣れた他人」を「ファミリア・ストレンジャー」と言います。
ファミリア・ストレンジャーはアメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムが提唱しました。
特に大都市に住む人にはファミリア・ストレンジャーが多く、また何かきっかけ(ちょっとした事件やハプニング等)があれば一時的に親密になれると説いています。
ファミリア・ストレンジャーは顔を見知っている分ある程度の親近感を持っており、きっかけさえあればお互いの心理的距離を縮めやすい間柄と言えます。
例えば、コンビニでバイトしているといつも発売日に少年ジャンプを買いに来る男の子がいたとします。
自分もONE PIECEが好きで毎週ジャンプだけは読んでいるので何だか親近感を抱いていました。
ある日、男の子がONE PIECEの劇場版DVDの予約すると(これがきっかけ)、さらに親近感を覚えて思わず「ONE PIECE、好きなんですね」等と笑顔で話をかけてしまう、なんて感じです。
ファミリア・ストレンジャーは、ちょっとしたきっかけで「劇的な出会い」につながる場合もあるのです。
反面、ファミリア・ストレンジャーは顔は良く知っていますがどこの誰かは解らない、つまりその人の個性も趣味も環境も一切知りません。
ですから、何をどう話していいのか解りませんし、相手の反応がどうなのか想像もつきません。
例えば、同じ住宅の他の階に住んでいる(らしい)ファミリア・ストレンジャーとエレベーターで一緒になった場合、なんとなく挨拶や天気の話くらいはしたとしても、互いにそれ以上どう対応して良いか解りませんので、その後の会話は弾まず、何だか気まず〜い居辛〜い雰囲気になったりします。
先のように「ちょっとしたきっかけ」があれば急速に親しくなる事もありますが、このようなきっかけがないと「出来れば必要以上に顔を合わしたくない人」になる場合もあります。
この心の動きは誰しもある自然なものですが、あまりネガティヴな態度をとると相手に嫌な印象を与えてしまう可能性があります。
住宅、町内会、学校、会社などのコミュニティであれば、思いも寄らない噂を流されたり、いじめ等につながらないとも限りません。
出来れば親密になるきっかけを自分で作れると良いですが、とりあえず愛想良く挨拶するような心がけがある方が良いかも知れませんね。
一方、メル友やマイミクなどメールやweb上で頻繁にやりとりをしていてもリアルで会った事のない知り合いがいます。
いわゆる「見知らぬ友人」ですが、これは「インティメイト・ストレンジャー」と言い、佛教大学の富田教授が提唱したと言われています。
インティメイト・ストレンジャーの個性も趣味も環境も良く知っていたとしても、それらは結局その人の「言葉」を経由して知っているに過ぎません。
表情やしぐさや全体的な雰囲気から人となりを判断してはいませんので、インティメイト・ストレンジャーは言葉の行き違いで簡単に信頼感や親近感を喪失する可能性も孕んでいると言えるでしょう。
大昔は集落や部族はみな顔見知りでしたからファミリア・ストレンジャーはありませんでしたし、つい最近までインティメイト・ストレンジャーと言う関係性はありませんでした。
メールをはじめとした文字だけのコミュニケーションが対人スキルを下げる諸悪の根源のように言われてますし、実際にその可能性も否めません。
しかし、考えようによっては他人との関係性や出会いの方法が昔よりずっと多彩になってきた訳です。
異性・同性に関わらず、見慣れた他人でも見知らぬ友人でも、そこから親密な関係を築く事が可能なのですから、現代は対人面にとても恵まれているのかも知れませんね。
[1]週刊ココロコラム
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