失敗

随分前ですが、旅行の幹事として企画を全て任されました。
目的地までの列車の時刻や乗換えを調べ、宿と夕食のお店を予約し、それぞれの地図や連絡先を用意し、翌日に行く場所の地図と詳細を調べ、全て資料にして用意しました。
旅行当日、待ち合わせ場所に着く直前にこれらの資料を家に忘れてきた事に気付きました。
全て私ひとりが手配し、用意したものですから、他のメンバーは何も全く知りません。
資料を取りに戻る時間がなく、失敗したと落ち込みつつ、とりあえず私の記憶だけを頼りに目的地に向かいました。
幸い、目的地にも宿にもスムーズに行く事が出来ましたが、食事を予約していた店の名前がどうしても思い出せません。
地図を思い出しつつ、メンバーを引き連れてうろうろ探しましたが、肝心の店がみつかりませんし、もちろん連絡先も解りません。
1時間以上さまよった結果、ようやく店の名前を思い出し、携帯(web)から電話番号を調べて、なんとか店に到着できました。
私は失敗した気持ちとみんなに迷惑をかけた罪悪感から落ち込みモードを引きずっていたため、食事の場を楽しめず、酔っ払ってなんとかテンションを戻しました。(^^;

前置きが長くなりましたが、今回のコラムは自戒を込めて書きたいと思います。
些細な失敗ならば笑って済ませられるでしょうが、人生の岐路にまつわるような大きな失敗は誰でも精神的なダメージが大きくなるでしょう。
しかし、受け取り方はその人次第と言えます。
例えば入試の失敗など「失敗の体験」自体は同じものでも、その失敗が些細なものだと思うか、重篤なものだと思うかは人によって異なります。
さらに、失敗の体験から受ける精神的なダメージも、失望感をいつまで持ち続けるかも、その失敗をどう対処していくかも、個々によって異なります。

知人で会社を立ち上げた方がいます。
会社員の間から副業をし、コツコツと副業を拡大させ軌道に乗ってきた所で会社を辞めて起業し、順調に業績を伸ばしています。
その方が以前こっそり教えてくれました。
会社員時代に有限会社を立ち上げましたが、会社の仕組みが解らないまま始めたため、半年で会社が潰れ借金を抱えていた時期があったそうです。
ご本人はこれを失敗と捉えず、倒産は「会社の仕組みを知るための実地訓練」、借金は「高い勉強代」と捉え、近い将来に起業するための準備の一端と考えたそうです。
その後、会社に勤めながら副業を始めて少しずつ借金を返し、同時に経営学などの勉強を続け、副業を拡大させて行ったそうです。 この知人はこんな事も言っていました。
「失敗だと考えてしまうと、そこで終わってしまう。」
こう言う考え方があったからこそ、起業して順調に業績を伸ばしているのかも知れません。

先の知人の話を借りれば、失敗とはひとつの結果、そこで完結です。
「失敗」によってその体験自体は完結したとしても、自分自身は完結せず未来に向かって続いています。
自分自身の受け取り方、その後の心や行動のあり方、そして未来の流れによって、過去の結果の捉え方が変わる可能性があります。
例えば、離婚に至った時点では、夫婦生活の失敗だったとしても、その後に良縁に恵まれたならば、過去の(失敗)体験があったからこそ今に至っていると幸せを実感するかも知れません。
この場合、離婚時には「失敗」と捉えていても、良き伴侶と新しい結婚生活を送っている時点では「あの離婚は失敗だった」と捉えていないでしょう。
このような感じで、未来を見据えた大きな視野や長いスパンで考えると、失敗は必ずしも失敗とは言えないかも知れません。
もし、何かで「失敗をしてしまった」と思った時、一度未来を見据えた大きな視野や長いスパンで考えてみては如何でしょうか。
新しい可能性が見えて来るかも知れませんよ。
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