続・孤独

前回のコラムは反響があったようで、多くの方からメールを頂きました。
という事で、孤独感についてもう少し考察したいと思います。

孤独感は悪者ではありません。
例えるならば、私達は生きるためには定期的に栄養を摂取する必要があるため、ぐぅ〜とお腹が鳴り空腹を感じます。
それと同じで、私達は生きるために人とのつながりや愛が必要であり、それらが欠乏している事を孤独感や淋しさが教えてくれているのです。
空腹は食料を調達して食べれば解消されます。
しかし、人とのつながりや愛は調達してすぐに解消出来るかと言えば、そうも行かず、難しい事は皆さんも良くご存知でしょう。
必要なのに充足しない状態も、孤独感や淋しさそのものも、私達にとっては「嫌(不快)な感情」です。
それらの感情に長くさらされているのは、とても苦しく辛い事ですので、一刻も早く遠ざけようと心が奮闘します。
心の奥底にしまって忘れた事にしたり(抑圧)、自分の事ではなかった事にしたり(投影)、反発したり(反動形成)等と言った様々な形で自分の心を守っているのです。

「解消」されない限り、必要なのに充足しない状態も、孤独感や淋しさも心の中に存在しています。
なかった事にしたい感情ですから、その根本的な原因になったきっかけを思い出す事は簡単ではありません。
長年抱いている漠然とした「慢性化した孤独感」は、こんなカラクリでずっと心の中に存在していると言えます。

私達は生きるために人とのつながりや交流が必要であり、孤独感はそれが足りていない事を教えてくれています。
孤独感を「解消」させるためには「人とのつながりや愛」を充足させる事が一番有益な方法です。

前回のコラムで「愛されている実感とは、別の見方をすれば自分(の個性)の存在を認められ、自分が必要とされている実感と言えます。」とお話しました。
孤独感を持つ人の多くは、自分で自分(の個性)の存在を認められず、自分で自分が必要とされていないと考える、つまり自分で自分を愛せない傾向があります。
自分なんてこの世に存在する価値のない人間だ、愛される資格のない人間だ、なくなってしまえ、消えてしまえ、等と思って苦しむのです。
そんな人は、家族や友人達が「あなたは必要な人だよ」「愛しているよ」と様々なサインを発していても、残念ながら本人の心に届かないので愛されている実感はほとんどありません。
何しろ、自分自身が自分の存在を認められず自らを愛せないのですから、他人が自分の存在を認めて愛してくれるなんて信じられないのです。

孤独感を抱く人全員にあてはまる事ですが、人から愛を貰っていないのではなく、それが愛だと気付かず自分から受け取っていないのです。
まるで、目の前にごちそうが一杯あるのに、それが食べ物ではないと思い、ずっと空腹のままでいるようなものです。
お腹が空いていれば誰でも、目の前に一杯あるものがごちそうだと気付いて、お腹一杯食べて幸せな気分になりたいですよね。(^^)

どんな原因やきっかけがあったとしても、孤独感そのものは自分の中の感情ですから、自分で変えようとしないと何も変わりません。
孤独感を持つ人は、「人とのつながりや愛」に目を向け、自分からそれを充足させるように努力してみましょう。
自分で自分を愛せない人は、自分を好きになれるような「目標」を立て、目標に向かって努力してみましょう。
自分から話をしたり、つながりや交流の機会を作るなど、自分から他人との交流を試みる積極的な行動をとってみましょう。
そして、「相手の存在を認め、相手を愛する」努力をしてみましょう。
異性同姓問わず自分の好きな相手には、自分が愛されていると実感できる、自分ならとっても嬉しいと思う、そんな言葉や行動をぶつけるのです。
ここで重要なポイントは、例え応えてくれない相手がいたとしても、「見返り」は一切期待しない事です。
いろんな人に「見返りなしの愛を分ける」行動を続けていれば、自分が人から貰う愛を「愛だ」と気付ける、つまり愛されている実感を持てるようになるでしょう。
[1]週刊ココロコラム
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