インターネットと匿名性

以前、とあるコールセンターで電話対応をしていた時の事です。
月に1〜2回位の頻度で定期的にクレームの電話をしてくる女性がいました。
最初から非常に感情的な口調であきらかに怒っているのですが、詳しく事情を伺おうとすると「アンタの対応が悪い」とさらに激しい口調になり「責任者を呼べ」と言う流れが常でした。
実はこの方が「誰」かをセンターでは把握していたのですが、ご本人にお名前を伺うと烈火の如く怒り出し絶対に名乗りません。
そして、いつも決まってクレームの具体的内容はありませんでしたので、どうやら自分自身のストレスのはけ口としてコールセンターを利用していたようでした。
コールセンターでの経験で気付いたのですが、お客様が名乗らない或いは名前を伺わずに済むような時、つまり「匿名性」があると、お客様の口調や態度が乱暴な傾向を感じました。

「匿名性」と言えば、こんな心理実験がありました。
名前や顔を出した「個人の特定が出来る人達」と、名前を伏せ仮面を被った「個人が特定出来ない人達」に分け、実験に失敗した人に対して(制裁として)電気ショックを与える役割をそれぞれにさせました。
すると、実験に失敗した人に電気ショックを与える時間が「個人の特定が出来る人達」に比べ「個人が特定出来ない人達」が2倍長く、さらに好ましい相手にも電気ショックを与えると言う結果だったそうです。
このように、個人が特定出来ず、なおかつ罰や制裁を受けない状況では、攻撃的になりやすい傾向があるのです。

現代の「匿名性」と言えば、インターネットの掲示板やブログのコメント欄に書かれる誹謗中傷がクローズアップされます。
揉め事や争いだけでなく、言葉の暴力や個人情報を公開されて困っている人や傷ついている人もいらっしゃいます。

インターネットの個人が特定出来ない状態をひとつの集団として見ると、そこに集団(群集)心理が働いている事が解ります。
集団(群集)心理は、集団は属する人達の「個性」と個々の「責任」が影を潜めますので、「匿名」と同じような状態になりやすい傾向があります。
そして、多数派の意見に同調しやすくなり、集団内ではその意見が「正しいもの」とみなされるようになります。
また、同調を促すように働きかける特徴もあるため、少数派の意見を排除しようとする流れも出てきます。

掲示板などで、揚げ足をとったり言葉尻を攻撃しながら、他者を論破をしようとする流れを見かける事が良くあります。
インターネット上での文字だけのコミュニケーションは、直接会って話せば解る表情や口調などの「非言語メッセージ」がありません。
言葉だけの世界ですから、そこに誤解が生じたり、受け取り方で善意が悪意になり得る場合もあります。
またインターネットは、ある発言に対して誤解やネガティヴな受け取り方をして、感情的になった人が「即座に」言葉で応酬出来る即時性があります。

こうしてみてみるとインターネット上での発言は、匿名性から攻撃的になりやすく、集団心理から多数派が正義となりやすく、文字だけのコミュニケーションから誤解や争いが生じやすい、と言う特徴があります。
このようなカラクリから、掲示板などでの誹謗中傷や荒らしやブログ炎上などが起きやすいと言う事が解ります。

まるでインターネットでの発言が悪者みたいになってしまいましたが、もちろん良い面もあります。
それは「公平」と「平等」です。
ネット環境さえあれば、原則的に誰でも公平に情報を見る事が出来ます。(有害サイトフィルター等は別として)
また、インターネット上は「匿名性」があるからこそ、年齢・性別も人種も地位も生活水準も関係なくコミュニケーションできます。
「人を外見で判断するな」と良く言われますが、まさしくこの格言通りの世界と言えます。
インターネットは、利用する個々自身に委ねられているツールなのかも知れませんね。
[1]週刊ココロコラム
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