劣等感とコンプレックス

最近は1つの建物の中で複数の映画を上映している大きな映画館、シネコンがあちこちにありますね。
シネコンは「シネマ・コンプレックス」の略ですが、この名称を見ると「コンプレックスって劣等感だよね?映画コンプレックス?はぁ?」なんて思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。(^^;
ここで言うコンプレックスは「複合」を指し、シネマ・コンプレックスは複合映画館の事です。
ちなみに、心理学(精神分析)用語のコンプレックスは「情緒的に強く色づけされた表象の複合で、抑圧されて無意識下に存在し、行動に影響を及ぼす。」と言う意味です。
定義が漠然としているため、具体的な解釈はいろいろあるのですが、厳密に言うと「コンプレックス=劣等感」ではありません。

では、「劣っているから駄目だ」と言った、私達が普段「劣等感」や「コンプレックス」と呼んでいるものは何なのでしょうか。
これは英語の言葉で説明するとなんとなく解ります。
私達が劣等感とかコンプレックスとして使っている言葉は、英語で「インフェリオリティー・コンプレックス(inferiority complex)」と言います。
inferiorityは「劣っている」、complexは先ほどの心理学用語「情緒的に強く色づけされた表象の複合」。
つまり、「劣っている」事で落ち込んだり、ヤケになったり、怒りや悲しみを抱えたり、自己否定したり、と言った様々な感情や観念が複合的に存在し、心の奥に押し込まれ、無意識的に自分の行動に影響を及ぼしている、と言う訳です。
日本語に直訳すれば「劣等コンプレックス」ですが、日常では「劣等感」や「コンプレックス」の方がニュアンスが伝わりやすいですね。
長い前置きでしたが、実はここからが本題です。(^^;

「劣等感」は、アドラー心理学(個人心理学)の創始者アルフレッド・アドラーが作った用語で、元々は私達が思い描くような「劣っているから駄目だ」と言った意味ではありませんでした。
劣等感は「劣っている・不足している・欠乏している」事自体を指しますが、それと共に、劣っている・不足している・欠乏している事柄を『完全なものや満ち足りたもの(優越)にしようと補う』傾向があると強調しています。
平たく言えば、完全を目指したり満たされるために努力する「行動の原動力・推進力」が劣等感なのです。

例えば、クラスの子の半分以上が跳び箱の5段が飛べるのに自分はまだ飛べないとします。
他の子が飛べるのに自分が飛べないのは劣っていると感じ、自分も飛べるようになりたいと何度も練習して、ついに自分も飛べるようになりました。
「自分も飛べるようになりたい」と言う強い思いや、「何度も練習した」行動の原動力・推進力が劣等感にあたります。
つまり、アドラーが言う劣等感は、決して「いけないもの」でも「駄目なもの」でもなく、努力や自己成長の糧と言えます。

劣等感の対義語は「優越感」で、他者より自分の方が優れていると言う意味ですが、アドラーは優越感の奥には劣等感が存在すると語っています。
何事も自分の方が優れていると思う傾向の強い人は、劣等感を過度に補おうとした結果、実際には優れていなくてもそう思い込んでしまうと指摘しています。
このような優越感は、高すぎるプライドや権力欲、支配欲などにもつながる場合があり、対人関係の弊害になったり、時には自分自身を追い込んでしまう事もあります。

このように、劣等感は悪者ではなく、努力や自己成長のための「原動力・推進力」なのです。
劣っているのが「いけない、駄目だ」と思う気持ちを切り離して見る事で、自分が何を補うべきか、どう成長するべきかが見えてくるかも知れません。
さらに言えば、劣っている・不足している・欠乏していると言うのは、主に他者と比較した時の自分の評価です。
もし、この中にひとつでも「自分の特性」を見出す事が出来れば、もっと自分らしく生きていけるかも知れませんね。
[1]週刊ココロコラム
[2]TOPに戻る