責任感
知人の女性はこんな生活を続けています。
朝5時台に起きて家族の朝食とお弁当を作ると慌てて出勤します。
仕事はある店舗を任されている責任者の立場で、帰宅は毎日夜9時以降、ほぼ休みなしの状態です。
買い物をして夜10時頃に帰宅すると手早く家族の夕食を作り、掃除や洗濯などの家事全般を行い、お風呂に入って寝るのは深夜1〜2時。
ごく稀に休みがとれた時には家族と日帰り旅行や買い物に繰り出します。
仕事は接客以外にも事務や管理全般、店舗のディスプレイ等ほとんどの仕事を自分自身で行っています。
さらに仕事仲間や取引先の人のお世話をしたり、他の部署の仕事や周囲から頼まれた細々した事柄も全て引き受けます。
家事の中でも特に料理が得意で、市販のお惣菜やインスタントの食材等は使用せず、毎日一から本格的な料理をします。
それ以外にも、数年前に遭遇したトラブルの後処理にも奔走しています。
一見、バリバリのキャリアウーマンで家事も完璧にこなす女性です。
しかし、何年も休息や自分の時間がほぼ取れない生活で、強いストレスと過労にさらされた結果、治療が困難な難病に罹ってしまいました。
医師から休息とストレスのない生活をするようにと指示されていますが、この方は「自分がやらないと」と仕事も家事も相変わらず続けています。
頑張り屋で完璧主義者、さらに責任感が非常に強いため、自分の周りの事柄は全て自分が抱え込み精一杯頑張ります。
悲しい事に、そんな「社会人として望ましいであろう」性格傾向が彼女自身を蝕んでしまいました。
特に以前から気になっていたのは、何もかもひとりで抱え込み過ぎる所でした。
職場の仲間に仕事を、家族に家事を手伝ってもらえば、もっと楽になるはずです。
それをしないどころか、自力解決した方が良いような他人の事柄も、彼女は自分の事を後回しにして引き受けます。
このような責任感は、周囲の人達を思い遣る気持ちからの行動でしょう。
しかし私は、責任感と言うよりも、人の助力や協力を断ち切った結果、ひとり孤立してるように強く感じました。
実際この方から、強い孤独感があり、いつも寂しく感じていると伺った事があります。
社会は自分ひとりで生きているのではなく、人と人が影響し合い、互いに支えあって生きています。
ですから、ひとりで頑張っても対処出来ない事柄に関して、他人に助力や協力や応援を求めるのは悪い事ではありません。
それに、周囲にいる人達に適切な助力や協力や応援を求める事は、「それらを任せる」つまり「信頼」につながります。
任された側にとっても、信頼されている事や自分が人の役に立てている事は、自分の存在を肯定出来る実感となります。
そして、他人から助力や協力や応援を求められた時は、快く引き受けて自分の力を発揮する。
こうして、人と人との絆が強くなっていくのです。
難病に罹患してから、この方は重い荷物の持ち運びのような力仕事が出来なくなっていきました。
症状が悪化すると共に、蛇口をひねるとか引き出しを開けると言った軽い作業も困難になりました。
そのため、仕方なく周囲の人たちに協力してもらうようになりました。
他人に頼み事をするのは凄く気を遣ってしまうそうですが、きっと以前よりも人と人との繋がりは実感しているはずです。
そして、これまでのような寂しさや孤独感からは少しずつ解放されていくのではないかな、と私は感じています。
余談ですが、お年寄りだから、体が弱いから、等と周囲が全てお世話して「何もさせない」と、自分の存在を肯定出来る実感を得られません。
それは「自分は役に立たない駄目な人間だ」とか「みんなのお荷物になっている」と生きがいを見出せず酷く落ち込んでしまう原因となります。
その人が出来る事、さらに言えばその人「だからこそ」出来る事を協力してもらうと、その人はもっと元気でイキイキとした日々を送れるでしょう。
[1]週刊ココロコラム
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