リコリタ

自分が得をする事を第一に考えて、他人の事は考えない思考や行動を「利己主義」とか「エゴイズム」と言いますね。
辞書を見ると利己とは「自分の利益だけを考え、他人のことは顧みないこと。」とありました。
反対語の「利他」は「他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。」と言う意味です。
世間一般では利己(心)は悪者扱いされ、利他(心)は素晴らしい事と言う認識があります。
今回は、ちょっと別の視点から利己と利他をつらつらと考察したいと思います。

人は自分の欲求を充足させたい本能があります。
言い換えれば、誰しも自分の利益を考え、優先したいと思っているのです。
ただ、人間は理性や良心、倫理観や道徳観などを持っていますので、状況に応じて抑える事が出来るのです。
その点から見れば、利己は必ずしも悪者とは言えないかも知れません。

利他は自分の事よりも他人の利(得や幸福)を優先する事ですから、打算や私欲があると厳密には利他ではなくなります。
しかし、私的な感情にとらわれない「無私」や無心の「無我」の状態で、他人の利を優先するのは、聖人でもない限り非常に困難で、究極の道徳的目標と言えるでしょう。
ただ、全くない訳ではありません。
例えば、事故で怪我をした人を発見して『思わず』助けてしまうとか、見知らぬ子供が車通りの多い車道に飛び出したのを見て『気付いたら』抱いて歩道に連れて行ったと言った行為などがそうです。
これらは、とっさに衝動的な行動をしていますので、自分の事を考えている余裕はなく、結果的に「無私」「無我」に近い状態です。
そこまで厳密ではなくても、打算や下心なして自分より相手の利を優先させる事は利他になるでしょう。 「あなたのためにやってあげたんだから」と相手にけしかけたり、「自分よりも人の事を考えろ」と他者に強いるのは利他ではありません。

個人的見解ですが、「利己」を自分の利、「利他」を相手の利として考えた場合、一番望ましいのは利己と利他がどちらも一緒にある状態ではないでしょうか。
一番解りやすい例は「(大好きな)あの人が幸せだと自分も幸せを感じる」です。
相手を思い遣る「利他」だけでなく、自分も幸せを感じるからあの人が幸せであって欲しいと言う「利己」も入っています。
これを「利他」だけしかないと考えるのは不自然ですし、偽善的とも言えるでしょう。

もうひとつ。
相手が困っている事を知り、自分の事を後回しにして相手の手助けをしたとします。
相手は助けてくれた自分に対して感謝の気持ちを示してくれるでしょう。
それは自分にとって「自分が人(や世の中)に必要とされている」「自分が役に立った」事を実感させてくれます。
自分の存在意義を他者に認められるのは、自分自身の喜びにつながります。
さらに、自分が困った時、今度は相手が助けてくれれば、自分は相手に対して感謝の気持ちを示すでしょう。
それは相手にとって存在意義を他者に認められるため、相手の喜びとなります。
「相手に与えると自分に返ってくる」とよく言いますが、この一連の流れは、自分も相手も、それぞれ「利己」と「利他」の両方が見られますね。

他人との交流経験が少ないと、「相手の立場や気持ちを察する」が解らず、結果的に自分の視点からしか物事を考えられない傾向があります。
「相手の立場や気持ちを察する」事が出来る人から見ると、その人は随分と利己的で自分勝手に見えるかも知れません。
だからと言ってその人を責めてしまうと、自分の殻に閉じこもって対人関係からさらに遠ざかろうとしてしまいます。
「相手の立場や気持ちを察する」事が出来るならばこそ、多少の事は大目に見てあげても良いかも知れませんね。
[1]週刊ココロコラム
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