必然の意味

先日お会いした女性との間で「シンクロニシティ」の話題が出ました。
その女性は「私には人を助ける使命があり、そのための能力を持っているとスピリチュアル・カウンセラーに言われた。実際にスピリチュアルな物事が自然と自分に集まってくるシンクロニシティがいっぱい起きていて自分自身すごく驚いている。だから私がその道に行くのは必然の流れ。」と言った内容を話されていました。
シンクロニシティ(synchronicity共時性原理)とは「意味ある偶然の一致」と言う意味があり、偶然の一致と感じるものにも必ず原因があり、起こるべくして起こっていると心理学者ユングが提唱した概念です。(詳しくは第51回「偶然の一致」参照)

彼女から詳しくお話を伺うと、スピリチュアルに興味があり、いろんなスピリチュアル・カウンセリングや霊能者の所に行って霊視やカウンセリングを受け、スピリチュアルなイベントに参加されているそうです。
これらは、興味があって行きたいと思う彼女の意思から出た行動です。
しかし、この方には「スピリチュアルな物事が自然と自分に集まってくる」神秘的なシンクロニシティのように見えていたのです。

最近ではシンクロニシティが拡大解釈され、「事象の全ては『必然』である」と言う考え方に囚われ過ぎている方もいらっしゃいます。
この『必然』に囚われてしまうと、自然と『必然の意味』を考えるようになります。
そして今度は、自分なりに解釈した『必然の意味』を通して、起った物事を捉えるようになります。

例えば、仕事が長続きせず転職を繰り返している人が「この流れは必然だ」と捉え、その意味を「まだ自分の天職に出会っていないからだ」と解釈したらどうなるでしょうか。
新しい職場になかなか馴染めず仕事が面白くないと、本人にとってはその仕事が「天職」とは到底思えません。
「まだ天職に出会えていないからこの流れは必然」と、また別の仕事を探す事でしょう。

例えば、対人関係が苦手で他人と上手く接する事が出来ない人が「この流れは必然だ」と捉え、その意味を「自分は人から認めてもらえない運を持っているから」と解釈したらどうなるでしょうか。
人から認めてもらえないのは誰でも辛い事ですから、経験しないためにそんな場面は事前に回避しようとします。
他人との接触を自ら遠ざけた結果、他人の疎遠な態度を見て「認めてもらえない運を持っているからこの流れは必然」と思うかもしれません。

例えば、恋人が出来ない人が「この流れは必然だ」と捉え、その意味を「自分は異性から愛される価値のない人間だから」と解釈したらどうなるでしょうか。
愛される価値のない、つまり愛されてはいけないと思えば、異性を好きになる事も出来ず、異性と出会っても自分をアピール出来ず、自ら出会いの場を遠ざけます。
その結果、意中の異性が現れず「愛される価値のない人間だからこの流れは必然」と諦めるかも知れません。

起きた出来事をこのように考えてしまうと、自分なりに解釈した『必然の意味』が強まりその考え方が深く根付きます。
すると何事も『必然の意味』を通してしか見る事が出来なくなりますので、起きた出来事が一貫性のあるものとなり、「シンクロニシティ」が起きたように感じます。
すると、ますます『必然の意味』が強まっていきます。
深く根付いた考えは、意識しなくても自然とその考え通りに行動してしまいますので、『必然の意味』を自ら引き寄せる結果になります。

自分なりに解釈した『必然の意味』、別の言葉で言えば『思い込み』です。
思い込みに囚われ過ぎると、物事を真っ直ぐ素直に見る事が難しくなりますし、物事をいろんな角度から考える柔軟な思考も奪われてしまいます。
そして、問題や悩みの自己解決が難しくなるでしょう。
もし、ネガティヴな『必然』に囚われている方がいましたら、思い切って捨ててしまう方が物事が好転するかも知れませんよ。
[1]週刊ココロコラム
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